総評
今回の「春の陣」には、3句応募、1句応募を合わせて、春の花、青葉、光、風、旅立ち、新生活、雨上がりの虹など、季節の移ろいを身近な風景の中に見つめた作品が寄せられました。全体として、日常の一瞬を写真にとどめ、そこに作者自身の感情や記憶を重ねようとする意欲が感じられました。
とくに印象に残ったのは、写真に写っているものをそのまま説明するのではなく、写真の外側にある時間や気配、作者の心の動きを言葉で呼び起こそうとした作品です。入選には至りませんでしたが、生命の循環を現代的な言葉で捉えた作品、立ち入れない場所の向こうへ音だけが進んでいく作品、虹を見つけた人間の高揚と犬の沈黙を対比させた作品など、写真俳句ならではの広がりを感じさせる力作がありました。
一方で、今後の課題として「説明句」になりすぎる作品も見受けられました。たとえば、写真に桜が写っているから「桜がきれい」と詠む、雨が降っているから「雨が降る」と詠むだけでは、写真と言葉が同じことを繰り返してしまいます。写真俳句では、写真に写っているものをあえて言い過ぎず、そこから何を感じたのか、何を思い出したのか、あるいは写真には写らない何を見たのかを言葉にすることで、作品に奥行きが生まれます。
森村イズムの写真俳句コンテストは、俳句の伝統に敬意を払いながらも、ガチガチな形式だけに縛られる場ではありません。季語や五七五は大切な入口ですが、最も大切なのは、写真と言葉が出会うことで、作者だけの発見や感動が立ち上がることです。今回の応募作には、その可能性が随所に見られました。今後も、自由闊達な感性で、写真と言葉のあいだに新しい表現を生み出していただけることを期待しています。
特賞
青葉風誰かのための椅子ばかり

灰島りんこ
木陰に置かれた椅子のある風景に、「誰かのため」という言葉が添えられることで、そこにいない人の気配まで感じさせる作品でした。青葉風の爽やかさと、待つこと、迎えることへのやさしいまなざしが響き合い、写真俳句として非常に完成度の高い一句です。
次点
あきらめの悪さが海へ連れてきた

森下 紙魚
季語を持たない作品です。しかし、海へ向かう心の動きと、雲や波の広がりが重なり、写真と言葉が一体となって強い余韻を生み出しています。私たちが目指す森村イズムの写真俳句コンテストは、ガチガチな俳句のルールに縛られるものではありません。写真と言葉によって、いま生きている実感を自由闊達に表現することを大切にしています。その意味で、本作は今後の写真俳句の可能性を示してくれました。
季節賞
カーテンのまだ来ぬ窓や 東風、光

松尾陽色
上京したばかりの新居という個人的な場面を、春の風と光によって普遍的な始まりの風景へと高めています。まだ整いきらない部屋に差し込む光が、新生活の不安と希望を静かに照らしており、春の陣にふさわしい瑞々しさがありました。
注目作品

深く吐くアポトーシスの春の朝
真蓮
生命の終わりと再生を「アポトーシス」という現代的な言葉で捉え、春の朝の静けさに深い内省を重ねた意欲作です。

立ち入れぬ その先ゆけり 蜂のこゑ
藤澤澄
人は越えられない境界の向こうへ、蜂の声だけが進んでいく。写真の外側に広がる世界を感じさせる余白が魅力です。

初虹や色めく我と犬の黙
しょこたん♪
「初虹」に心を動かされる作者と、それを黙って見ている犬の対比がよく、写真俳句としても人間と犬の温度差が楽しい作品です。

春夕や墨流し後の如き空
海神 瑠珂
夕空の複雑な色合いを「墨流し後」と捉えた比喩が印象的で、春の終わりの淡い不安と美しさが静かに響きます。

引き算の身軽になんぬ花浄土
オリー
余分なものを削ぎ落とした先に見えてくる春の浄土。白黒写真の趣とも響き合い、静かな達観を感じさせる一句です。

「日本写真俳句大賞春の陣」の選考を終えて(NOTE記事にリンクしています)